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ロマンチックなルールを知って欲しい(1)

色々制約の多い世の中で、その制約を守ろう、他人にも守らせようという意識は、エチケットの厳しさを反映しながら、私たちの正しい振る舞い方を説明しています。

人々は、自然な振る舞いと意識的なルールの共存を主張しているけれども、
その声にはおすすめというよりも強制が感じられないでしょうか?

社会がガラッと変わったと同時に、思いやりの心とルールの融合は、しばらくの間、地平線上に泡立っていて、少なくとも理論的には、この2つはよく対になっています。

何かの加害者と被害者は、これまで経験したことのない社会情勢の中で、この不均等な合成を維持するのに苦労しています。

「ルール遵守」は思いやりの心と同様に美しいものであり、
社会生活をスムーズに生きる意味を持つものとなっている。

ただ一方で思いやりの心の行き過ぎは、ルールに縛られた社会を生み出しているのではないでしょうか。

「思いやり」という優しい言葉の裏に隠された強制を、たくさんたくさん感じるのは
私だけでしょうか。

優しい言葉の響きとルールの絆が、社会の中での友好的で冷酷な制裁を可能にしているように
感じられてなりません。

それらは、私たちがいかに優れた素晴らしい人間か、の自慢話をしながら、自分たちの自律性を宣言し、他人だけでなく私たち自身にも制裁を与えるように説得する方法を迅速かつ整然と表現しています。

それらは、敵対的な世界でお互いに気を配りながらの激しいパワーセッションであることを示しています。

このアプローチは、美しい言葉の協力的なエネルギーのおかげで、まさにゲームになっています。

まるで、私たちの自由を脅かす不穏な制限や、非難や批判の投げ売り、小さな部屋の中で嗚咽して終わる日々など、より深刻な心の傷口をつくることに挑戦しているみたい。

気持ちが晴れない時代の “思いやりの心 “の需要は、その代わりにルールに縛られた生活を生み出しています。

本来の “思いやりの心とルールの美しい共存 “を実現するにはどうしたらいいの?

次回はそのことについて触れてみたいと思います。